甘くみていた収穫作業
到着して早速、無言の指示
熊本空港に着き、そこから高速バス、スーパーばんぺいゆ号に乗って新八代駅に到着しました。
久しぶりの故郷の空気を吸い込みながら母に電話をすると、「もう収穫作業が始まってるから、タクシーで帰ってきて」と言われました。
迎えに来てもらえると思っていたのに、すでに家族は田んぼで忙しく動いている様子。タクシーで実家に向かい、着いてみると、家には誰もおらず、玄関には作業着だけが置かれていました。
(これを着て田んぼに来いということか…)と無言の指示を感じ取り、早速作業着に着替え、自転車に乗って田んぼへと向かいました。
天気は快晴で、田んぼが近づくにつれ、湿った土の香りと独特の空気が、懐かしい思い出を呼び起こしました。
父との会話と体力の衰え
遠くから見えてきたのは、手術を終えたばかりの父が、痛みに耐えながら作業をしている姿でした。
お腹にコルセットを巻き、顔を歪ませながらも、収穫したい草をコンテナに積み上げている父。その姿を見て胸が痛みました。
「大丈夫?」と声をかけると、父は「おっがせんばん、どやんならん」(私が動かないとダメだ)と、言葉を発するのも辛そうな様子。痛みで話すのも辛そうな父でしたが、やはり作業は手を止めません。
職人気質の父は、自分で動かなければ気が済まないタイプ。私は「変わるから、ダメだったら言って」と言って手伝いましたが、結局は父自身が動きたくて仕方ないようでした。
しかし、痛みには勝てず、父はリフトの座席に座り込んでしまいました。その姿を見て、体力の衰えが一層感じられ、急に年を取ったようにも見えました。そんな父の姿に、なんとも言えない感情が押し寄せました。
その日の収穫作業を終え、実家に戻ると、母から「明日の朝は4時に起きて、乾燥作業をするよ」と伝えられました。
い草の収穫は6月中旬から7月にかけて行われ、収穫したばかりのい草は、すぐに泥染め作業を行い、翌日に1日かけて乾燥庫で乾燥させます。
泥染め作業は、い草を天然の泥に漬け込むことで、乾燥時にムラができないようにする重要な工程です。この泥染めが、畳特有の香りを生み出し、い草をより美しく乾燥させるために欠かせない作業です。泥染めが終わると、い草は乾燥庫に入れられ、一晩かけて乾燥させ、早朝に乾燥したい草の袋詰め作業が行われます。
初日から感じた両立の難しさ
翌朝4時、目覚ましが鳴り、眠い目をこすりながら起床。まだ暗い中、敷地内にある乾燥庫に向かいます。
父もまたコルセットを巻きながら、お腹の痛みに耐えつつ、腰を屈めた姿勢で乾燥庫に歩いていきました。「代わりにやるから休んで」と声をかけましたが、「大丈夫」と言い張る父。
顔には全く大丈夫な様子はありませんが、結局一緒に作業を続けました。
乾燥したい草は、約10kgほどの束にして袋詰めされます。この作業がまた一苦労。袋詰めしたい草は100袋以上にもなり、その合計は約1トン。
これを保管庫に山積みにしていく作業が待っています。
10kgの袋を持ち上げ、高さ3〜4メートルの棚に次々と積み上げていくのは、予想以上に大変な労力でした。
袋詰めと積み上げが終わると、次の収穫の準備が始まります。ようやく朝ごはんの時間になり、一息つく暇もなく、また田んぼへ向かい収穫作業を再開。
ハーベスターという収穫機械を使い、い草を刈り取っていきます。
収穫したい草をコンテナに積み替え、このコンテナを6台分収穫します。
午前中に3台分を終えた頃には、体中が重く、ようやく昼ご飯にありつけました。
昼食を済ませ、午後も作業が続く予定でしたが、私は実家の自身の仕事も控えていたので、昼からは数時間だけPC作業に集中するつもりでいました。
しかし、朝からの収穫作業が予想以上に体力を消耗させていたのか、慣れない早起きと重労働に体が追いつかず、昼食を食べた途端に深い眠りに落ちてしまいました。
気がつくと2時間が経過しており、PC作業を急いで片付け、再び田んぼへ戻って作業を手伝いました。
3週間の収穫生活への不安、体力がもつのか…
夕食後もまた自分の作業に取り掛かりますが、明日も4時起き。疲れ果てている体では、遅くまで起きて作業を続けることはできません。
(これであと3週間、果たして体が持つだろうか…)と不安が頭をよぎります。そうして、初日から早くも体力の限界を感じながら、眠りについたのでした。
収穫作業の厳しさを甘く見ていた自分を反省しながら、明日もまた忙しい一日が待っている。やがて、この生活に慣れることができるのか、それとも体が先に音を上げるのか…。そんな不安を抱えながら、次の日を迎える準備をするのでした。
続く…。